嫁が朝からデカい声で…のエントリに対する批判の多さが不思議でならない
「良いエントリだけどまあ当たり前のことだよな」というのが、私がこの記事を読んで最初にもった感想だ。
ところがコメント欄を見てびっくり。
「お前の育児は腐っている」「嫁への配慮が足りない」「偉そうに」「理想論にすぎない」と批判だらけではないか。
日本の一般的な教育観を見せつけられた。
この記事ではそんな一般的な教育観がいかに歪んだ思想なのかということを述べていきたい。
命令とは暴力である
まず述べたいのがこれだ。
たとえ娘息子のことを思っての行動であったとしても、叱ることや命令することは相手を支配し、操作するための行為である。
その事実はどんな理由があろうとも揺るがない。
「学校へ行くために早く用意をした方がよいこと」「寝坊しないために早く寝た方がよいこと」は確かに正しいことには違いないだろう。
しかし正しいからといって相手に命令し、操作しようとしてよいことにはならない。
それは動物を調教して芸を覚えさせようとする行為と同じだ。
それは相手の人間性を否定する行為だ。
なぜ同じ人である自分の子どもに平気で暴力を振るえるのか、到底理解できない。
かと言って褒めて伸ばす教育を推進するわけでもない
コメント欄にいくつか「褒めて伸ばすのって大事ですよね!」というものが見て取れた。
これは私の推測だが、エントリ主は褒めて伸ばすことが重要だと言っているわけではない。
エントリ主はただ相手の気持ちに立って考えようと言っているだけだ。
その結果相手をおだてる、賞賛するという行為に至る可能性はあるが、本質はそこにはない。
教育の本質にあるもの、それはリスペクトだ。
相手を同じ一人の人間として見て、対等な人間として接するという当たり前のことだ。
「叱る」という行為と同じように「褒める」という行為の根底には、相手を操作し思い通りに動かそうという意図がある。
相手を操作しようとする行為はリスペクトとはかけ離れている。
そもそも相手を動かそうとしている時点で教育者失格なのだ。
子どもの行動を決められるのは子どもだけであるべきだ。
支配教育は日本中に蔓延している
あなたは「教育」という言葉を聞いてどんなイメージを浮かべるだろうか?
もしかすると先生や親が子どもをガミガミと叱っているシーンを思い浮かべるかもしれない。
はっきり言ってこれは異常なことだ。
相手を叱り、時には褒め、支配して自分の思い通りに動かそうとする行為が「教育」として一般認識されているのである。
最近は減ったようだが昔は体罰というものも一般的だったらしい。
日本人は体罰が異常であることを理解したように、未だ残るこの異常性に一刻も早く気づくべきだ。