マズローの欲求段階説を否定する
説を知っている方向けの記事なので説明は簡略化するが、マズローの欲求段階説とは人間の欲求が上画像のように5段階に分かれているという説である。
本やブログでよく引用されるこの説に、私は甚だ納得できない。
尊厳欲求はジャンクフードにすぎない
何より気に食わないのは、尊厳欲求(承認欲求)を社会欲求(所属欲求)を満たした次の段階として定義していることである。
これが誤りであることは現代社会を見渡せばすぐわかる。
例えば仕事に就いていないのにSNSでいいね!を求める私のような存在がそれだ。
私は明らかに社会欲求を満たせていないのに尊厳欲求に走っているではないか。
マズローの欲求段階説は尊厳欲求が社会欲求の上位互換であるようなイメージをもたせることが問題だ。
本来尊厳欲求はお手軽に飛びつける欲求であり、社会欲求より下等なものだ。
お気軽に快楽を味わえるジャンクフードである。
決して社会欲求を満たした高等な人間にしかもてない欲求ではない。
自己実現欲求(笑)
そして第二に、自己実現欲求というわけのわからない存在を定義している点だ。
自身の能力、才能を最大限発揮したいという欲求らしいが、人間全員に当てはまるわけではなく、一部の人間だけがもつものらしい。
私が思うに、これは全ての欲求を満たすことで現れる高等な欲求などではなく、3番目の社会欲求の一つの形にすぎない。
人が社会に貢献できていると感じ、社会欲求を満たすことができるかは個人の主観次第である。
例えば街中のゴミを拾うことで自分は社会に貢献できていると実感できる人がいれば、会社に雇われて忙しく働くことでしか貢献感を得られない人もいる。
これはどちらが良いという話ではなく、ただ人によって主観は違うというだけの話だ。
それと同じように、自分の才能をどれだけ発揮できていれば社会への貢献を実感できるかも人によって違うのである。
その求めるハードルが高く、自分の才能を活かしたいという欲求が強い人だけが自己実現欲求(笑)をもつというわけだ。
こう言っておいてなんだが私も実はそのタイプであり、昔から才能をしっかり活かしきれているかということにかなり敏感である。
マズローには是非ピラミッドの上二つを削ってもらいたい。