ニート式戦略思考

高卒ニートによる人生戦略論

所属欲求は滅私奉公を良しとはしない

所属欲求とは組織、集団に所属し、必要な存在でありたいと感じる欲求だ。

近年この所属欲求が承認欲求の代わりとして重要であるという意識が浸透してきている。

私も大いに同意である。

人間は集団に所属し、貢献できていると実感することで幸福を感じるのだ。

 

しかし所属欲求のことを大きく勘違いしている人が多いように感じる。

所属欲求を自己犠牲の精神と同義のように語っている人が多いのだ。

これは決定的な誤りである。

所属欲求を満たすために必要なものは滅私奉公の精神ではない。

 

自己犠牲の精神はいわば自分より他人を優先する思想だ。

自分の上に他人という存在を置いているのである。

これはスポーツで例えれば自分のポジションを能力は足りないが健気に努力している補欠のチームメイトに譲る行為と言える。

自分の幸せより他人の幸せが重要なのだとしたらある意味当然だ。

しかしこれで所属欲求が満たせるかと言えば否である。

なぜならそれでは補欠のチームメイトのためにはなっても総合力が下がるチームのためにはなっていないからである。

 

所属欲求を満たすためには、自分でも他人でもなく「チーム」を優先する必要がある。

それによってただ意味もなく自己を犠牲にして他人を優先するような行為では所属欲求を満たすことはできない。

自分もチームの一部であることには違いないので、自分に損害が被ることはチームの損害でもあるということを理解しなくてはならない。

自分はチームの一部であり、それでいて自分の上にチームを置くことが正解である。

スポーツの例に戻るなら、自分の方が能力が高ければ自分が試合に出るべきだし、より能力が高い下級生がいるなら素直にポジションを譲るべきだ。

言ってしまえばチームの前では自分も他人も同列なのである。

 

私はこの所属欲求について考えるとき、いつもハンターハンターという漫画の蜘蛛という組織のことを思い浮かべる。(知らない方は申し訳ない)

組織の要である団長が攫われても大半の団員は冷静そのもの。

なぜなら蜘蛛にとって重要なのは組織の頭ではなく組織自体であるからだ。

蜘蛛の頭を失うのは損害だがもし失っても誰かが代わりになればよい。

それは団長自身にとっても同じことであり、本人は自分が殺されそうな状況でもすましている。

団員にとって最も重要なものは蜘蛛であり、自分は二の次だ。

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しかしそれは自己犠牲の精神とは違う。

ただ自分と組織を比較し、組織に重きを置いているだけなのだ。

これは正に所属欲求のお手本のような考え方である。